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宮城県狂愕化問題。

俺は宮城県の某別学校に通ってて、今宮城県の進めている共学化問題というものにも勿論?反対で、知事に陳情に行ったり現役生の扇動をして新聞に名前が載ったりするクチの人間である。

そこで、今日見つけたニュース。【共学化問題で村井知事 年内にも県教委と会談】

県立高校の共学化問題について、村井嘉浩知事は二十九日の定例会見で「私の考えを県教委に伝えないといけない。県議会が終わったら正式に会う」と述べ、開会中の十一月定例県議会閉会後に県教委側と会談し、共学化凍結が望ましいとする意向を伝える方針を明らかにした。

これまで、浅野県政下では共学化に対するベクトルの向きは(笑――昨日ベクトルのテストがあったもので)、県知事と県教委の間で同一の方向を指していた。これにより、とりあえず浅野の支持基盤だったフェミニストの提言云々を抜きにして考えても、教育行政に対する県教委の独立性が保たれておらず、教委も同調した。つまりことこの問題については、浅野の独裁であった事はまず前提である。

議会の最大会派である県民会議や、有権者内にも多い共学化反対派の反目を買っていたのはこのことが原因かと思われる。

それが今回、県教委と知事の会談が開かれると公的な報道機関に話をしたと言う事は、浅野色の払拭という意味も勿論あるが、それよりも、「県教委に対する宣戦布告」――こういうとまた語弊がある。即ち”必ずしも今まで通りいかないですよー”という表示――という意味が読み取れるのではないか。

現状として、共学化反対派の理論性の欠如(高校生に多い)といい、宮城県教委の根拠の孕む矛盾といい、俺は関係者の人間だから主観的になりがちであるが、客観的な見方をする第三者から見れば「低レベルな県だな、宮城県ってw」と思われてしまいがちなのではないかなと思う。この問題の最後の勝者は、圧倒的多数の傍観者を支持せしめた側になる、と言う事である。

となると、この共学化問題を考える上で恐ろしいのは、教育問題として学生を考えるのではなく、支持競争として人気取りに走った挙句、教育の質の低下を招くことであると言える。ああ、「現役を見ろ、別学校を見てみろ」と叫びながら「現役を見るな、支持者を見ろ」という方が効果的であると言うこの矛盾。

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