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2005年11月30日

宮城県狂愕化問題。

俺は宮城県の某別学校に通ってて、今宮城県の進めている共学化問題というものにも勿論?反対で、知事に陳情に行ったり現役生の扇動をして新聞に名前が載ったりするクチの人間である。

そこで、今日見つけたニュース。【共学化問題で村井知事 年内にも県教委と会談】

県立高校の共学化問題について、村井嘉浩知事は二十九日の定例会見で「私の考えを県教委に伝えないといけない。県議会が終わったら正式に会う」と述べ、開会中の十一月定例県議会閉会後に県教委側と会談し、共学化凍結が望ましいとする意向を伝える方針を明らかにした。

これまで、浅野県政下では共学化に対するベクトルの向きは(笑――昨日ベクトルのテストがあったもので)、県知事と県教委の間で同一の方向を指していた。これにより、とりあえず浅野の支持基盤だったフェミニストの提言云々を抜きにして考えても、教育行政に対する県教委の独立性が保たれておらず、教委も同調した。つまりことこの問題については、浅野の独裁であった事はまず前提である。

議会の最大会派である県民会議や、有権者内にも多い共学化反対派の反目を買っていたのはこのことが原因かと思われる。

それが今回、県教委と知事の会談が開かれると公的な報道機関に話をしたと言う事は、浅野色の払拭という意味も勿論あるが、それよりも、「県教委に対する宣戦布告」――こういうとまた語弊がある。即ち”必ずしも今まで通りいかないですよー”という表示――という意味が読み取れるのではないか。

現状として、共学化反対派の理論性の欠如(高校生に多い)といい、宮城県教委の根拠の孕む矛盾といい、俺は関係者の人間だから主観的になりがちであるが、客観的な見方をする第三者から見れば「低レベルな県だな、宮城県ってw」と思われてしまいがちなのではないかなと思う。この問題の最後の勝者は、圧倒的多数の傍観者を支持せしめた側になる、と言う事である。

となると、この共学化問題を考える上で恐ろしいのは、教育問題として学生を考えるのではなく、支持競争として人気取りに走った挙句、教育の質の低下を招くことであると言える。ああ、「現役を見ろ、別学校を見てみろ」と叫びながら「現役を見るな、支持者を見ろ」という方が効果的であると言うこの矛盾。

2005年11月29日

どこにでもありそうでなさそうなありきたりの事。

人間関係というものは非常に難しいもんで、普遍的に善となるものがないという事は、「人の為に尽くそうと色々やったらウザがられる」とか「徹底的に自分の為動いたら泣いて感謝された」とか言うことが現実に見られる事からも簡単にわかるものである。

それでも、この俺、色なし緑の周りには妙な規則性があるようである。

1.人に貸した本は返って来ない

某ハリーポッターの4巻?を友人に貸したら福島に転校されるわ、結構好いてくれてた女の子に歴史書を貸したら連絡付かなくなるわと妙な傾向性がある。これは家族曰く、ウチの家系一般にいえる事らしい。

2.いわゆる”普通の”女の子とは知り合いにならない

中学生の時に援助交際してた子、学ランを着て応援団やってる(他校である)女の子、中学校の同級生と所謂”Friend in bed”である事に加えて彼の”Cock”の大きさと感触を大声で話しかけてくる女の子(打つだけでも違和感だな)、等など、所謂「何処にでもいる」女の子にはなかなかお目に掛かれない。


Blogはじまって3つ目のエントリーにこんな事書くのもアレだけども、最近の高校生に対する処女性って可哀想だなと最近思う。特に今打ちながら思った。俺自身は実は、新婚初夜初交渉をさして疑ってないタイプの古風な人間なので、別にどうこう言うつもりはないが、あくまで知的な興味としてもう少し真剣に話を聞いとくんだったな、と男子校に入ってから思う。


…最初書きたかった事から脱線したけど放置する俺凄い。

不運

良い事と悪い事、適と不適、幸運と不運、諸々のことがsinθのように繰り返されるとしたら、今日は一番下の日だった。今日はこういう意味のないエントリーを、しかもはじめたばかりのBlogに書きたくなるほどであった。

朝は二度寝して始まり、今はテスト期間中なのだが遅刻しそうになり、数学ではしょーもない失策を連発するわ。だが、この程度の事ではまだ最悪とは言えない。

俺は自分の学校の中でも結構な存在感を持つ某”存続の危機に瀕する団体”の人間なのだが、なんと、予算のうちの¥190,000が窃盗にあった模様。タダでさえ今年は切迫しているのに、現在一文無し。

おまけに、帰り道の延々と続く上り坂で原付のガソリンが切れて終わった今日一日。

…という訳で、気晴らしにスタイルシートを思い出し、MovableTypeのマニュアル片手に(片手というのはあくまで比喩ですが…)ちゃんと色々スタートできるようにしてみた。本当にどうでも良いスタート。

2005年11月20日

BLOGなんぞに手を出す。

 この色なし緑がウェブサイトの管理人なぞやるのは、かれこれ2年振りであります。かつて現役だった時は、まだBLOGなんてものは存在せず、パタパタとHTMLを手打ちしていったものですが…懐かしいモンです。そしてもう老けた感が。

 このサイトは"Movable Type"を使ってるんだが、やっぱりレンタルは何となく嫌だ。とは言え、未だテンプレート・タグの一つも知らない上にXHTMLも浅はかな知識しかないから、やってる事は大して変わらないのだけど…。

 身分としては高校生と言う事になるかと思うけども、興味と思考の分野は世代が違う。同級生よりも親のほうが話が合う。言語学、構造主義に興味があるのは兎も角として、好きな歌手とか小説と言ったSnobな範囲に関しては全く以ってそうである。因みに矢沢永吉・井上陽水あたりが好き。

 まあ、最初は人も来ないだろうし、半分"Movable Type"の練習に近い状態が続くだろうな。

まあ分かると思うけども、ハンドルネームもタイトルも言語学の言葉のもじりであります。とはいえ、そんなに博識がある訳では勿論ない。HNは"Colorless green ideas sleep furiously."という例文から、タイトルは「変形生成文法理論」からです…分かる人には分かる。知らなければ知らないだろう。

そんなにノーム・チョムスキーに傾倒してるわけじゃないんだけどね…。